人生ってさ
メタ的な視点が情報共有の発展によって急速に伸びている現代で、それぞれが人生についてうまく考えられなくなってるんじゃないかと思う。
先進国では生活がすごく安定してて、何不自由なく、多くの人が80のじーさんばーさんになるまで生きていられる。
日本なんかはその最たる例で、とてもいい国なのかなと思う。
でも、そんな国だからこそ、自分の人生について上手く考えられなくなってる人が多い気がする。そもそも人生という概念こそメタ的なもので、本来はいつ死ぬとかこの年までに云々とか考えてるものじゃないんじゃない、生き物って?
そんな人生というものを、最近親族を亡くした友人と話してて、列車にたとえることができるんじゃないかと気付いた。(画像はuverworldの七日目の決意pvでバスだけど)
一人一人はそれぞれの人生という旅を行く列車の車掌さんだ。
その列車はとーちゃんかーちゃんによって作られて(下ネタ?!)、よろよろと動き出し始める。
動き出した列車は時を経、いろいろなものに出会いつつ、徐々にスピードを上げていく。
それは無条件に愛情を注いでくれる家族かもしれない。
それは気兼ねなくアホなことが話せる友人かもしれない。
それはエゴで人を否定しようとする自分にとって悪い人かもしれない。
はたまた、様々な美しいもの、やってて楽しいものかもしれない。
本来、そうやって出会ったものひとつひとつを、それぞれが見極め、これは一緒に旅したいな、と思ったものを招き入れ、自分の列車にのっけていく。
しかしどうやら、その招き入れる物や、その列車の進路変更を他人に委ねてしまっている人が多いみたいだ。そうかもね。責任を持つのは怖いことだ。
でもね、その列車は君のものであって、他の誰が所有しているわけでもない。
君こそが車掌さんで、その列車そのものを背負う義務がある。
でもそれは逆に言ってしまえば、自分がその列車をコントロールして好きな場所へ向かってもいいということなんだ。
そうやって自分で舵を切っていくことを最初に踏み出すのは、とても勇気のいることかもしれない、とくにこの国では。
でも本来はそれぞれの人生ってそうやって動いている、見えにくくなっているだけで。
僕は、それぞれがもっと自分だけの路線を勇気をもって選べるようになればな、と思う。
ところで、残念な話だ。
列車は、大きくなって速度が速くなっていくと言ったけど、どんな高級列車も、どんな鋼鉄でできた頑丈な列車も、いずれガタがきて、壊れて、最後は止まってしまう。その上、君が好きになって乗車してきてもらった人々や、いろんな出会ったきた物も、気まぐれにかその時が来てか事情はあるけど、多くは降車して君の列車からいなくなってしまう。君の欲しいもの、好きなものを全部集め抱えて、永遠に進むことはできない。みんないずれは死ぬんだからね。
「いつか終わるならそんなものに意味はない」、君はそう言うかもしれない。
でもね、最初にも言ったけど、その君の人生は"旅"なんだ。
はじまりがあって終わりがある、そんな旅行よりちょっとスケールが大きいくらいの旅なんだ。
楽しいものって延々とやれるから楽しいもんだと思うかい?僕は違うと思う。
時間は限られているかもしれないけど、そのメタ的な視点は忘れて目の前のことに没頭してしまっている、そんな状態を楽しいというと思うんだ。
「その時が楽しければいいのか、先のことを心配しないなんて周りに迷惑をかけるだけだ」、と君は言うかもしれない。
でもその"周り"の中には、家族や親しい友人を除いて、君のことに責任を持ってくれる人なんかだれもいない。その家族や友人だって、困ったときに手を差し伸べてくれないならそれですらない。そんな人たちに縛られているくらいなら、そうなってくれる人たちを探しにいくべきだ。
列車はいつか止まる。
どんな人生を送ればいいか?
安定しているのか?冒険なのか?それは君が決めること。君が車掌さんなんだから。
どんな旅にするかは君自身が決めることなんだ。それだけは絶対であると僕は思う。
楽しくしちゃっていいんじゃない?あなたは今生きていて、それはあなたの理性が選び取った結果なんでしょう?